2017-08-20(Sun)

北条政子に憧れる

夏も残りわずか、今年はなんだか雨が多く、まるで梅雨のような夏休みでしたね。
夏休み終わり日が付くと、私の誕生日がやってきて今年は42歳になっちまいますよ。
まあ、歳のことはさておきまして、ここ数日思うこともいろいろあり、久しぶりの長編になっちゃいそうな気配でスタートするコラム回です。
今日のテーマは政子は政子でも北条政子について。
裏テーマは父と娘について。
さて、北条政子と言えば、言わずと知れた、鎌倉幕府の源頼朝の正妻にして、旦那さんの死後は尼将軍として組織をまとめた女傑です。
かの有名な名演説
「頼朝の恩義は、あなた方にとって海よりも深く、山よりも重いことを思い返してほしい。
そそのかすものによって今回討伐の命が出たが、これを倒して将軍の意を果たしなさい。
しかしながら、もし上皇方につきたいものがいたら、名乗り出るといい、好きなように上皇の元に行くといい」
を行い、結果、承久の乱に勝利します。
 
昔、小学校の頃、社会の授業でこのエピソードを聞いた頃はからかわれたりして恥ずかしかった記憶があります。
まさこ
という名前は好きではありますが、
昔ならば、正子が一般的、あとは雅子が優雅に見えていいなぁ。
なんておもった時もありました。
ただ、政子という名前は、実は高名な霊能力者の高い方につけていただいた名前なのです。
何故、そんな事になったかと言うと、予定日をかなり過ぎてもなかなか生まれてこなくて心配になった両親が意見を聞きにいった所
あなたたちはしょっちゅう喧嘩をしていますね?
お腹の子供はそれが嫌で出てきたくない、あちらの世界に帰りたいと言ってますよ。
と、言われたそう。
私は年子で1つ上に姉がいるので、子育てが大変だったこともあり、確かに喧嘩が多かった事を後悔したのだとか。
大変、信心深い父は身重の母に代わり、熱心にお参りしたり、水行したり、なんとか生まれてくるように祈った結果私が生まれたと。
しかし、生まれて即、危篤状態で保育器の中で両手両足に点滴をうち命を繋ぎとめる間も一生懸命お祈りしたそうです。
そんなわけで小さな頃は体も弱く、しょっちゅう熱を出したりしていた私なのです。
そして、霊視をしていただいた方に名前をその方に決めていただいたのですが、
将来人の上に立つときがきたら政治正しく生きるように。
という、意味を込めて、政治の政で政子だそう。
いま、まさに社長などをしてたりしますから、まあ、そういう事なんでしょう。
その名前をいただいた時には
あなたたち夫婦が争ったりする事が続けば、この子の命を天界に返すと言われてますよ。(先祖が)
とも言われたとか。
小さな頃からそんな風に諭されてきたせいか、私もそれなりに信心深い方だとは思います。
子供の頃から、自然と両親が喧嘩したら止めなければいけないという使命感みたいなものが強かったのを覚えています。
さすがに最近は両親も良い年になりましたし、父も年をとったせいか多少は丸くもなりましたから、昔ほど使命感に駆られる事はすくなくなりました。
あと、小さな時から言い聞かせられてた事がもう1つ。
父から事あるごとに
これからは女でもしっかり勉強すれば出世する事ができる。
お父さんは家が貧しく大学に行きたくてもいけなかったけど、お前はお父さんの分もしっかり勉強しなさい。
と、言い聞かせられてたわけです。
なんやかんやで中学生くらいまでは素直に、休みは父にひっつき、勉強もして優等生をしてた私ですが、
大学進学、そして就職と父の理想に叶わなかった私と父の関係が悪化した時期があります。
さらに大人になり家を出る事になったあとも一年以上実家には寄りつかず、話もしない時期があったくらいです。
父の話をすると、話が横道にそれまくってしまいますが、、、、
結論から言えば、いくら考え方が違いがあったとしても、私はやはり父の事が好きなんですね。
そして、私の趣味嗜好は父の影響がかなり大きく人格形成にまで影響をあたえています。
三つ子の魂百までとは良く言ったもので、幼き日に父とは山歩きをしたり、釣りをしたり、1つ1つ言い聞かせられた言葉(正しくあれ)などが今の私のベースを作り上げていると感じてしまいます。
気がつけば好きになるのも、なんとなく父に似たところがある、感情表現が不器用で融通が利かないタイプの男性だったりします。
曲がった事が大嫌いで媚びへつらう事もせず、大会社に首席で入社したのに、自分の中の正しさを突き通した結果大きく出世もしなかった父ですが、定年まで勤め上げ私達を養ってくれました。
それはやはり私にとっては誇らしい事なのです。
さあ、北条政子の話に戻りましょうか。
北条政子は、なかなか情熱的な女性らしい、女性だと私は思っています。
愛情(嫉妬も)が深く、何より一途な人だったんじゃないかな。
出会った当時は流人だった頼朝を好きになり、反対を押し切り結婚、はっきりはわかりませんが20歳前後といわれています。
源平盛衰記の中には二人の恋物語が載ってたりして、娘が流人である頼朝と恋仲になったのをしった父、時政は無理やり政子を別の男に嫁がせようとし、政子は逃げ出し、山を越えて頼朝の元に走ったとされてます(信憑性は微妙なようですが、本当だとしたら、女が山道を一人で逃げるなんて当時は命の危険もあったはず)、その逸話をきくだけでも、政子が非常に行動力があり、情熱的な女性だったのが想像できますよね。
ちなみに二人の年齢差は10歳くらいだったみたいですが、頼朝もなかなかのイケメンだった模様。
頼朝は30歳のときに、ピチピチ(死語)な20歳の嫁を貰った(しかも逆玉だよね)という計算になります。
その後、頼朝か鎌倉幕府を開くまでになったのは、やはり北条政子のサポートがあったからこそ。
反対を押し切り、それでも自分がこの人だと信じた愛する人のために、いろんなものを捨てる事になったとしても恐れないで突き進む強さ。
それって、現代社会においてだってすごく難しい事です。
きっと、自分に素直で、素敵な女性だったんだろうなぁと想像します。
だから大人になり、社会に出てから北条政子って、凄いな!
と思うようになりました。
同じ名前を持っているのが嬉しいし、北条政子に負けないような素敵な女性になりたいなと思う私なのです。
余談ではありますが、政子が愛した、頼朝も仁に熱い男だったようです。
だから、なんとなく、政子が好きになった頼朝と言う男性も、義経を殺したりして非情なイメージが強く誤解されがちだけど、礼節を大事にし、仁義ある方だったのだろうと私は考えています。
逆に義経は悲劇のヒーロー的なイメージが強いけれど、ちょっと調子に乗るタイプで世間知らずな空気読めないタイプだったんじゃないかと(⌒-⌒; )
まあ、あくまで想像の話ではあります。
歴史って面白いね!
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usaginomirai

Author:usaginomirai
(株)IMDワークス&MDファクトリーHS(株)代表取締役 の川端です。中小企業の未来をサポートする、ものづくりの地域を越えた顔の見える連携をテーマに連携事業、教育事業をベースに活動中。

ニックネームは、日本全国神出鬼没なことから、ものづくりのくノ一

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