2017-09-20(Wed)

拘りは善か悪か

今日は『拘り』について書いてみたい。
こだわり
って言葉、実は私は好きじゃない。
細部に拘る
拘りがある
みたいな言葉はなんとなく、一昔前のCM
『違いがわかる男』
みたいなイメージを持ちがちだけど、実際はマイナスな言葉だと思う。
事実、遡れば江戸時代、昭和中期くらいまで、
拘るという言葉は、過去のどうでもよい事に執着したり、固執したりとマイナスな意味で使われていたらしい。
なるほど、私がイメージしていた言葉の嫌な雰囲気は正にそれである。
1970年代くらいから、いつしかこの言葉が良いイメージに転じていったらしい。
そうなったキッカケなどはネットで詳しく書いておられる方もいらっしゃるので私は割愛するので、気になる方はググッていただきたい。
なにわともあれ、本来の言葉の意味を考えたとき、拘りなど捨ててしまえ!という事になる。
過去は過去でしかない。
執着して、気にしても反省材料にはなるものの、変える事は出来ない。
また、つまらない、些細な事を気にやむという意味で捕まえた時も同様で些細な事を気にしすぎては大局を見誤る。
拘りとはそういう言葉なのだと私は思う。
とくに、上に立つ人間の拘りというのは始末が悪い。
信念は持つべきだけど、拘りを持つべきではない。
もっと良い言葉は無いものか?
モヤモヤする。
私にとって、拘りという言葉はドロドロと怨念じみており本当に気持ち悪く感じてしまう言葉なのだ。
しかも、こだわりの反意語は
こだわりが無い
である。
それではなんとも味気ない。
まるでいい加減な人間のようにも聞こえてしまう。
同義語に、闊達である。
という表現があった。
まだこちらの方が幾分が印象が良く感じる。
ただし、小さな事は気にしない的な意味だから、印象と言葉の意味の違いは大変ユニークだと私は感じる。
そして、いくら私が気持ちが悪いと足掻いても言葉の意味は実際のところ時代と共に変化していくのが至極真っ当な事でもある。
そしてそれは以前感想を書いた小説『氷菓』の一文
『全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。』
と大変近い感覚じゃないかとも思う。
古典は素晴らしい、しかしながら大事なのは、生きて変化し、蓄積され続けているリアルな生きた情報なのだ。  
だから、嫌だ、嫌だとは言うものの、認めざるを得ないのもまた事実なのだ。
なぜなら、其れこそ、過去にとらわれ拘っている事に他ならないからだ。
滑稽な話になってしまうではないか。
今日、先日取材を受けた雑誌のゲラが上がってきて、私はその中において
『知られていない=存在していない』と語っていた。
さらに
『情報が資産価値化してきた』
とも語っていた。
1時間の取材で使われる言葉はたかが知れていて、実際1/10も使用されないけれど、ライターさんがたくさんのキーワードの中から選び出したこれらの言葉は胸を打つものだったからこそ選び出されたキーワードなのだとも思う。
ブログを書きながら、心に波紋を投げ掛けられるような言葉を紡ぎ出し、情報を上書きできるような講師でありたいなと私は思うのであります。
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usaginomirai

Author:usaginomirai
(株)IMDワークス&MDファクトリーHS(株)代表取締役 の川端です。中小企業の未来をサポートする、ものづくりの地域を越えた顔の見える連携をテーマに連携事業、教育事業をベースに活動中。

ニックネームは、日本全国神出鬼没なことから、ものづくりのくノ一

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